2012年 09月 18日
愛宕坂ふらりふらり~その一
愛宕坂は足羽山への北側からの登り口にあたるところで、天正4年(1576年)、柴田勝家によって一乗谷から移された愛宕大権現の別当寺院(愛宕山遊楽寺松玄院)と足羽神社の参道として開かれました。文政11年(1828年)には、立矢(たちや)町の商人松岡屋吉兵衛が世話人となり、笏谷石で修復されました。戦後にはコンクリート舗装となりましたが、平成8年から11年にかけ整備が行われ、笏谷石を敷いた、風情のある現在の姿になりました。
ここが登り口です。右に愛宕坂茶道美術館、左奥に橘曙覧記念文学館が見えます。ここから145段、165mの笏谷石の石段が続きます。いっきに登りきるのはかなりきついですが、ウオーキングや愛犬の散歩などで坂を行き来する方も多くいらっしゃいます。みなさん慣れていらっしゃるのでしょうか、軽やかな足取りでうらやましいです。
42段登ると、愛宕坂茶道美術館、橘曙覧記念文学館の玄関前です。美術館前の掲示板には、2館のイベントなどが紹介されています。散策の際には是非ご覧下さい。秋はイベントが多いので、チェックしてみてください。
これは、文学館前の「黄金舎跡」石碑です。曙覧は実家の家業を異母弟に譲り隠棲、天保10年(1839年)、28歳から9年間(35歳から3年間との説もあり)ここに家族と暮らしました。石垣に山吹の花が咲き誇っていたことから、曙覧は「黄金舎」の称していました。
阿須波山(あすわやま)にすみけるころ
あるじはと 人もし問はば 軒の松 あらしといひて 吹きかへしてよ
「松籟艸 第1集」
その二に続く by ta.
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ここが登り口です。右に愛宕坂茶道美術館、左奥に橘曙覧記念文学館が見えます。ここから145段、165mの笏谷石の石段が続きます。いっきに登りきるのはかなりきついですが、ウオーキングや愛犬の散歩などで坂を行き来する方も多くいらっしゃいます。みなさん慣れていらっしゃるのでしょうか、軽やかな足取りでうらやましいです。
42段登ると、愛宕坂茶道美術館、橘曙覧記念文学館の玄関前です。美術館前の掲示板には、2館のイベントなどが紹介されています。散策の際には是非ご覧下さい。秋はイベントが多いので、チェックしてみてください。
これは、文学館前の「黄金舎跡」石碑です。曙覧は実家の家業を異母弟に譲り隠棲、天保10年(1839年)、28歳から9年間(35歳から3年間との説もあり)ここに家族と暮らしました。石垣に山吹の花が咲き誇っていたことから、曙覧は「黄金舎」の称していました。
阿須波山(あすわやま)にすみけるころ
あるじはと 人もし問はば 軒の松 あらしといひて 吹きかへしてよ
「松籟艸 第1集」
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by rekikyou
| 2012-09-18 17:49
| 歴史あれこれ